
今回は、和泉式部の娘さんである小式部内侍(こしきぶのないし)、紫式部の友人の伊勢大輔(いせのたいふ)、そして元気一杯のハッチャキ娘の清少納言(せいしょうなごん)です。
百人一首は、ここまで、途中に大納言公任の歌が入りますが、それを除いて9首連続で女性の歌が続きます。
このあたりの歌の並び方は、実に見事というべきもので、
53番の藤原道綱母が「貴方を待つ夜は長い」と詠めば、
54番の儀同三司母は「貴方のやさしい言葉に、今日死んでもいいわ」と続き、
55番で大納言公任が唯一男性として「名勝の滝は、水が涸れても名声は後世に残りますな」という歌がはいったかと思えば、
続く56番は和泉式部が「死ぬ前にもう一度あなたに逢いたい、抱かれたい」と続くわけです。
そして57番では紫式部が転勤で遠くに去る友に「また戻ってきてね」と詠み、
58番ではその紫式部のひとり娘で、キャリアウーマンとなった大弐三位が「貴方のことは忘れていませんよ」と、ラブ(lave)なやさしさを見せ、
59番では天才歌人の赤染衛門が、約束を守らなかった彼氏に「あんた来ないんだったら、あたしグレちゃうわよ」と痛快な啖呵をきっています。
そして60番には、愛に生き愛に身を捧げた和泉式部の娘の小式部内侍、
61番には優れた母となった伊勢大輔、
62番には、あの『枕草子』で有名な清少納言と続くわけです。
百人一首の世界といえば、平安時代のみやびでおっとりとした典雅な、女たちはなよなよと、男性たちはまるでヒマジンで和歌や管楽に興じたのんきな世界のように印象操作されていますが、なかなかどうして。
男女とも非生産的でおっとりとして屁理屈ばかりを並べて悦に入っているような世界というのは、朝鮮貴族の世界観です。
日本の百人一首の世界は、全然違う。もっとずっと躍動的だし活動的です。
だいたい一番の天智天皇からして、我が国最高位の天皇の地位におわしながら、民百姓と一緒に率先して田んぼの泥水に浸かって田植えはするし、虫に刺されながら稲刈りをするし、朝早くから夜遅くまで、庵にはいって藁(わら)を編んでいます。
2番の持統天皇は真夏の強い日差しのもとで汗びっしょりになって首からタオルをぶらさげて、青空のもとで汗を拭き拭き洗濯をし、その洗濯物を干しています。
59番の赤染衛門に至っては、女性でありながら、約束を破って来ない彼氏に対して、「あんた、いいかげんにしなさいよ。来ないならグレてやるから!」てなものです。実に活き活きとしています。
前々回のこのシリーズで、百人一首には「いま自分が感じているこの気持ちが、実は何百年前の、あるいは千年前の誰それが感じた気持ちと同じものだという共感があり、そのことは歴史といまを生きる私たちとを一体化させる」と書かせていただきました。
千年前も千年後も、とりまく環境は変わっているかもしれないけれど、日本人の心はまるで変わっていないのです。だからそこに共感があるし感動があるのです。
2番の持統天皇は真夏の強い日差しのもとで汗びっしょりになって首からタオルをぶらさげて、青空のもとで汗を拭き拭き洗濯をし、その洗濯物を干しています。
59番の赤染衛門に至っては、女性でありながら、約束を破って来ない彼氏に対して、「あんた、いいかげんにしなさいよ。来ないならグレてやるから!」てなものです。実に活き活きとしています。
前々回のこのシリーズで、百人一首には「いま自分が感じているこの気持ちが、実は何百年前の、あるいは千年前の誰それが感じた気持ちと同じものだという共感があり、そのことは歴史といまを生きる私たちとを一体化させる」と書かせていただきました。
千年前も千年後も、とりまく環境は変わっているかもしれないけれど、日本人の心はまるで変わっていないのです。だからそこに共感があるし感動があるのです。