Quantcast
Channel: 山羊さんの備忘録
Viewing all articles
Browse latest Browse all 99

67番歌 周防内侍(すおうのないし)

$
0
0
人として対等
67番歌 周防内侍(すおうのないし)

春の夜の夢ばかりなる手枕に
かひなく立たむ名こそをしけれ


はるのよの
ゆめはかりなる
たまくらに
かひなくたたむ
なこそをしけれ
============

(現代語訳)
春の夜も、そんな夜に見る一夜の夢でしかない腕枕の誘惑も、それによってつまらない世間の噂が立ったら、お悔しいでしょ?

(ことば)
【春の夜の夢ばかりなる】春の夜も夢も、ともに「はかないもの」という意味合いがあります。ですので、ひとことでいえば「はかないばかりの」といった意味になります。
【手枕(たまくら)に】腕枕のことです。
【かひなく】かひなくは、する甲斐もない、つまらないといったときに使われる言葉で、この場合「かいな(腕)」と意味がかかっています。
【立たむ】この場合の立つは、両足で立つということではなく、次の「名こそ惜しけれ」にかかります。
つまり世間の噂がたつ、といった意味になります。
【名こそ惜しけれ】

(歌の意味と鑑賞)
周防内侍は、いまでいったら高級官僚のキャリアウーマンで、まる50年以上にわたって宮仕えを続けた女性です。
歌人としても、歌会に呼ばれるほどの女性ですから、とびきりの才能があった女性といえます。

とかく才能のある人は、さまざまな政治的派閥抗争に巻き込まれ、わりとキャリアが短命におわりがちなのですけれど、周防内侍の場合、特別な才能があって目立つ存在でありながら、そうしたさまざまな激動する政治勢力の動きの中にあって、立派に最後まで勤めを果たした女性であったことがわかります。

よほど有能な女性であったということですから、いまふうに言うなら、まさに「使える女性」であったということができます。そうとう仕事ができ、しかも才能も能力もあり、それでいて派閥抗争にも巻き込まれず、誰からも愛され、仕事上の責任も見事に果たしながら、宮仕えを50年以上にわたってやり通したわけです。
それは、周防内侍が、すごい女性であったということです。

そんな周防内侍の生涯を代表する歌として、藤原定家が選んだ歌が、この「名こそ惜しけれ」の歌でした。

この歌には、『千載和歌集』(せんざいわかしゅう)に歌詞があって、そこには次のように書かれています。
「二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまた居明かして物語などし侍りけるに、内侍周防、寄り臥して「枕もがな」としのびやかに言ふを聞きて、大納言忠家、「是を枕に」とて、かひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ、よみ侍りける」

現代語にしますと、
「ある年の2月、月が明るい夜に、二条院で人々が集まって、夜遅くまでみんなで語り明かしていました。
遅い時間になって、周防内侍はちょっとお疲れになったのか、かべにもたれて、『枕がほしいわ』なんてつぶやかれました。
すると大納言であった藤原忠家が、すかさず簾(すだれ)の外から腕を差し入れてきたので、この歌を即興で周防内侍が詠みました」といった意味になります。

「腕を差し入れる」ということには、これまた今風に言うと「エッチしましょう」といったお誘いのメッセージがあることから、最近の本などでは、この歌の一般的な解釈として、
「春の夜に儚(はかない)一夜をともにしようと誘われても、そんなことをして、つまらない噂が立てられるのは不本意なのではありませんか?」と、ちょっと艶っぽく即興で返した歌だと解釈されているようです。

もちろん、それも間違いではないと思います。
相手は、大納言です。
今で言ったら、色男の閣僚(大臣)から、口説かれたわけです。
ついついその気になって、よろめいてしまうという下世話な想像力をかきたてられても、無理からぬことかもしれません。

けれど、この歌の大事なことは、そんな下ネタにあるのではありません。
そんな簡単なことではないのです。

身分の上からいえば、言い寄ってきた、つまり腕を差し出してきた藤原中家は大納言であり、後世の世でいえば、いわばお殿様です。
これに対し周防内侍は、宮中の身分からしたら、もっとも格下の一女官にすぎません。
世界の中世における王宮内の出来事とすれば、周防内侍は、お誘いを断れるような立場にはないのです。

一方、誘った側である藤原忠家にしても、誘って断られたとあれば、それは人前で忠家が「恥をかかされた」ということになります。
体面を考えらたら、お手打ちしたっておかしくないくらいの話で、それでなくたって、後々恨みを買い、周防内侍は、宮中での立場を悪くしそうな状況であるわけです。
事情は、実はとても深刻なのです。

要するにもっとわかりやすく言うなら、大企業内において、若い周防内侍が、重役から公然とエッチのお誘いを受けたわけです。
いまふうにいえば、セクハラとパワハラの両方を一緒に受けたようなものです。
女性の人権問題だとか、セクハラ相談所などは存在しない中世のことです。
そんな時代背景のなかで、周防内侍がどのように対処したのか。
そして、言い寄った忠家は、そして平安の宮中の社会がどのようなものであったのかまでを、私たちに語りかけていてくれるのが、この歌なのです。

この時代は、いまのような電気はありません。
あるいみ、夜の灯りは、月明かりがたよりです。
時期は旧暦の二月ですから、いまでいったら1月です。
当時は、いまよりもずっと気温が低かったので、まだ雪がかなり残っている。そんな時期であったかもしれません。

そんなまだ寒い時期だけれど、月のきれいな晩に、二条院に貴族たちの男女がいっぱい集まって、みんなでワイワイやっていたわけです。
夜も更けてきて、ちょっと話疲れた周防内侍は、壁に背中を預けて、なんの気なしに、「ふぅ。ちょっと疲れたわ。枕があったら横になれるのにね」と、ひとりごとをつぶやいたわけです。

その声を聞きつけた大納言の藤原忠家が、すだれごしに腕を差し入れ、周防内侍に、「私の腕をまくらにしなさい」と、言うわけです。
腕枕で横になるということは、二人が一緒に横になることです。
これはけっこう大胆な、お誘いとも受け取れる発言です。

それに対して、周防内侍は、「春の夜の夢は、はかないものですわ。そんなはかない一夜の恋の相手に、わたしのような者をお相手になさっては、大納言様のお名前に傷がつきますよ」と、即興で、じつにきれいな歌を返したわけです。

実は、この返し方は、とても艶やかであるだけでなく、おしゃれなものです。
というのは、「腕を差し出した」ということは、大納言にしてみれば、仮にそれが冗談であったとしても、あるいは本気であったとしても、おもいきりストレートなお誘いと受け取られてしかるべきものなのです。

ところが、にっこり笑いながら「わたしのような者をお相手になさっては、大納言様のお名前に傷がつきますよ」と言われれれば、忠家は、「わはははは。おもしろい女御にござりまするな」と、笑って腕を引っ込めることができるわけですし、周囲も、それを見て、みんなでにっこりできるわけです。

一方、周防内侍にしても、お誘いを断ることで、大納言様との人間関係を悪化させるわけにいきません。
相手は大納言なのです。
狭い宮中で人間関係を悪化させれば、下手をすれば宮中をクビになる。
それだけのリスクはあるのです。

ただ「あなたの名前が惜しいのではありませんか」というのでは、これは嫌味です。
おしきせがましいし、まるっきり「おためごかし」ですし、ナマイキです。
くり返しますが、相手は大納言なのです。

けれども、即興歌で、「腕枕」と「かひな(腕)」をかけて「手枕にかひなく立たむ」とやさしく詠み、さらに腕枕のことを「春の夜の夢ばかりなる手枕」と、その男らしくたくましい腕(かいな)を、やわらかく「春の夜の夢」と詠んでいるわけです。

つまり、「大納言様のその強く逞しい腕は、わたしのような者にとっては、1月の寒い中にあって、まるで春の夜の夢のような、温かみと強さをもった素敵な腕ですわ」と、こんなことまで言われたら、大納言にしても、「わはははは。ありがとう」と、素直に腕をひっこめれるし、周防内侍にまるで悪意をいだかない。

周防内侍は、宮中の人間関係に齟齬をきたさないし、大納言の面目もちゃんと保たれる。そういう対応を実に見事に行ったのです。
きわめて知的な周防内侍の対応です。

さらにこの歌には、もうひとつ、たいせつなことが描かれています。
それは、中世の日本が、男女も身分の上下も超えて、仕事の上ではもちろん身分や上下関係はあったけれど、人としては互いを敬い、大切にする人間が人間として互いに対等な社会であったということです。

もし、中世の日本社会が、男尊女卑であり、身分の上下が絶対視されるような社会であれば、周防内侍は、こんな上官に逆らうような歌を詠んだというだけで、死罪を免れなかったかもしれません。
これが中世の支那の王朝社会であることを想定すれば、そのことはよく理解できるものと思います。
ウシハク国では、身分こそ絶対だからです。

ところが日本はシラス国です。
シラス国は、情報共有化社会ですから、人はそれぞれ対等です。
対等ということは、お互いがお互いの尊厳を認めるということです。

対等は平等とは異なる概念です。
運動会の駈けっこで、みんな並んで「ハイ、ゴール。はぁい、全員一等賞〜♫」というのが平等です。差異を認めない社会です。
ところが、そうはいっても、男女には性差はあるし、社会を維持しようとすれば、身分の上下も生まれます。
つまり、平等な社会というのは、理想であっても現実離れしている概念なわけです。

ところが対等はこれと異なります。
あいつは勉強では学年で1番だけれど、駈けっこだったら俺が一等賞だい、というのが対等です。
お互いがお互いの尊厳を認め、相手の良いところを認め合いながら、それぞれが自分のできる範囲で努力し互いに協力し合う。それが対等観です。

日本の中世社会は、「皇、臣、民」の三層構造といわれますが、すべての臣民が天皇のおおみたからとされた日本社会では、男もたから、女もたから、太政官もたから、女官にすぎない周防内侍もたからなのです。
だからこそ、周防内侍たちは、身分の垣根を越えて、二条院で太政官までも交えて、夜遅くまでみんなでワイワイ騒いでいたのだし、太政官のお誘いを、周防内侍はきれいに断り、そんな二人のやりとりを、みんながまた、素晴らしい、おもしろい(をかし)と讃えたわけです。

そして周防内侍は、そういうウィットに富んだ応酬ができることによって、危機に及んでも誰も傷つけることなくその場をおさめることができる。
周防内侍がいれば、場が常にまるくおさまる。
だからこそ、周防内侍は、50年以上にわたって、政争渦巻く宮中にあって、誰からも愛されながら職務をまっとうし、生きのびることができたわけです。

政治には、どうしても対立や抗争がついてまわります。
盛者必衰というたとえもあります。
そして男たちにとっては、仕事は戦いの場でもあります。
けれど、戦いであるがゆえに、正直者であればあるほど、国想う真実を尽くせばつくすほど、傷つき汚れ、政界を追われることもあるわけです。

ところが周防内侍は、女性の身でありながら、そんな政界にあって、キャリアウーマンとして、生涯にわたって重要な職を勤め上げることができました。
そしてその理由は、彼女が「名こそをしけれ」と、誰の名誉も傷つけずに生きたからであったわけです。

周防内侍のこの歌は、政争の中にある男たちからみれば、ある意味、たいへんに貴重であり、またたいへんに勉強になる女性であったのです。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 99

Trending Articles