ボクらはみんな生きている
70番歌 良暹法師(りょうせんほうし)
寂しさに宿を立ち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮れ
さひしさに
やとをたちいてて
なかむれは
いつくもおなし
あきのゆふくれ
============
この歌はとっても有名な歌で、「いづくも同じ秋の夕暮れ」は、みなさまも何かの折りに、口ずさんだことがあるのではないでしょうか。
(現代語訳)
あまりにさみしいので、家から出てあたりを眺めてみたら、どこも同じさみしい秋の夕暮れだったよ。
(ことば)
【宿】この時代、宿は旅館のことではなくて、自分の住む粗末な庵のことを、そう呼びました。
(作者)
詳しい経歴は不明で、比叡山延暦寺の僧侶で、晩年は比叡山を出て京都・大原の雲林院に住み、65歳で没したと言われています。
歌会にも何度も呼ばれた僧侶ですので、そうとうの教養人でした。
(歌意)
比叡山延暦寺というのは、この時代にはたくさんの無骨な僧兵を抱え、また全国から仏教を学びたいとする僧侶が集まって研鑽に励んでいたところで、常に大勢の人のいる、ある意味たいへんに賑やかなところでした。
そんな延暦寺で晩年までずっと修行を積まれた良暹法師(りょうせんほうし)は、いってみれば人の大勢いる大企業のオフィスか、大忙しで大繁盛している大手流通の幹部社員みたいなもので、毎日、朝早くから夜遅くまで、毎日が気張りっぱなしの、慌ただしい毎日を送ってきた人であったわけです。
そういう環境のもとでは、人が望むのは、晴耕雨読の平穏な毎日です。
いつかは、人里離れた田舎に草庵をいとなみ、自給自足で構わないから、そこで静かに暮らしたい。
そんな希望を誰もが抱いたりするものです。
今風にちょっとかっこ良く言えば、忙しく働き、富を得て、南の島のビーチリゾートで、毎日釣りでもしながら、優雅に暮らしたいという理想というか、夢みたいなものかもしれません。
幸いなことに良暹法師(りょうせんほうし)は、歳をとって延暦寺を引退したあと、まさにこれを実現するわけです。
良暹法師が草庵をいとなんだ京都の北にある大原は、「京都大原三千院」で有名なところですが、人の往来の少ない、山に囲まれた静かな山里です。
いまでもそうなのですから、千年前には、もっと静かなところであったろうと思います。
この歌は、出典となった詞花集には詞書があって、そこには「大原にすみはじめけるころ」とあります。
つまり、まさに良暹法師が、延暦寺を出て、大原の草庵にひとり棲み始めた頃の歌であるわけです。
大勢の人が常にいて、騒がしく、また忙しい日々から、自然の中にひとり暮らす、のんびりとした夢のような日々がようやくやってきた。
ところが、実際にこうして一人暮らしをしてみると、どうにも寂しくてたまらない。
そこで、住まいとなっている草庵を出て、付近一帯を眺めてみると、あたりはもうすっかり秋の景色です。
そこで、「ああ、どこもかしこも、秋景色なんだなあ」と詠んだのがこの歌です。
ところが、ここで面白いのが、良暹法師が「いずくも同じ」と詠んだことです。
冒頭で「寂しさに」と詠いながら、下の句では「いずくも同じ」です。
何が同じかといえば「秋の夕暮れ」が「同じ」というのです。
一般には、ですから秋の夕暮れは「寂しさ」の代名詞とされています。
けれど、少し考えたらわかるのですが、大原のような大自然に囲まれた場所における秋の夕暮れはちっとも寂しくありません。
秋ですから天は高く、夕暮れ時には、空の雲が美しく紅く染まります。
山々に目を転じれば、そこには紅葉があり、あるいは黄色く色づいた樹々があり、鳥が啼き、夕暮れ時なら秋の虫たちが、冬越えの準備のための求愛に、声をかぎりに鳴いています。
街道に目を転じれば、そこには曼珠沙華(彼岸花)や、キンモクセイ、萩の花やキキョウの花が咲いています。
それらすべてが一体となって、みんなが生きている。
人がいない寂しさに、一歩外に出てみたら、そこは大自然の生命の息吹にあふれているわけです。
人間社会だけを見るのではなく、人も自然界のまたひとつと捉えれば、そこはまさに生命の大地です。
藤原定家は、この歌を三条院の「憂き世の夜半の月」、能因法師の「竜田の川の錦」の歌の次に配しました。
三条院の歌は朝廷の政争を、能因法師の歌はその政争さえも我が国では錦になると詠んでいます。
ということは、次に配された良暹法師のこの歌も、ただ寂しいとか孤独だとか言っているのではなくて、人に揉まれた比叡山も、人里離れた大原も「いずくも同じ」、つまり、どこもみんな、実は生命の息吹に満ちあふれた、それぞれの生命の活動の場であり、それらが渾然一体となってひとつの「美しい夕暮れ」を奏(かな)出ている。
つまり、みんなが生きている。
自分もそのなかのひとつとして、生かさせていただいている。
そういう感謝の思いが、この歌に詠み込まれていることに気付かせてくれます。
実に、奥行きの深い、まさに名歌の名にふさわしい歌であろうと思います。
そして、だからこそ、この歌にある「いづくも同じ秋の夕暮れ」というフレーズは、千年の長きにわたって人々に愛され続けてきたのだと思います。
70番歌 良暹法師(りょうせんほうし)
寂しさに宿を立ち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮れ
さひしさに
やとをたちいてて
なかむれは
いつくもおなし
あきのゆふくれ
============
この歌はとっても有名な歌で、「いづくも同じ秋の夕暮れ」は、みなさまも何かの折りに、口ずさんだことがあるのではないでしょうか。
(現代語訳)
あまりにさみしいので、家から出てあたりを眺めてみたら、どこも同じさみしい秋の夕暮れだったよ。
(ことば)
【宿】この時代、宿は旅館のことではなくて、自分の住む粗末な庵のことを、そう呼びました。
(作者)
詳しい経歴は不明で、比叡山延暦寺の僧侶で、晩年は比叡山を出て京都・大原の雲林院に住み、65歳で没したと言われています。
歌会にも何度も呼ばれた僧侶ですので、そうとうの教養人でした。
(歌意)
比叡山延暦寺というのは、この時代にはたくさんの無骨な僧兵を抱え、また全国から仏教を学びたいとする僧侶が集まって研鑽に励んでいたところで、常に大勢の人のいる、ある意味たいへんに賑やかなところでした。
そんな延暦寺で晩年までずっと修行を積まれた良暹法師(りょうせんほうし)は、いってみれば人の大勢いる大企業のオフィスか、大忙しで大繁盛している大手流通の幹部社員みたいなもので、毎日、朝早くから夜遅くまで、毎日が気張りっぱなしの、慌ただしい毎日を送ってきた人であったわけです。
そういう環境のもとでは、人が望むのは、晴耕雨読の平穏な毎日です。
いつかは、人里離れた田舎に草庵をいとなみ、自給自足で構わないから、そこで静かに暮らしたい。
そんな希望を誰もが抱いたりするものです。
今風にちょっとかっこ良く言えば、忙しく働き、富を得て、南の島のビーチリゾートで、毎日釣りでもしながら、優雅に暮らしたいという理想というか、夢みたいなものかもしれません。
幸いなことに良暹法師(りょうせんほうし)は、歳をとって延暦寺を引退したあと、まさにこれを実現するわけです。
良暹法師が草庵をいとなんだ京都の北にある大原は、「京都大原三千院」で有名なところですが、人の往来の少ない、山に囲まれた静かな山里です。
いまでもそうなのですから、千年前には、もっと静かなところであったろうと思います。
この歌は、出典となった詞花集には詞書があって、そこには「大原にすみはじめけるころ」とあります。
つまり、まさに良暹法師が、延暦寺を出て、大原の草庵にひとり棲み始めた頃の歌であるわけです。
大勢の人が常にいて、騒がしく、また忙しい日々から、自然の中にひとり暮らす、のんびりとした夢のような日々がようやくやってきた。
ところが、実際にこうして一人暮らしをしてみると、どうにも寂しくてたまらない。
そこで、住まいとなっている草庵を出て、付近一帯を眺めてみると、あたりはもうすっかり秋の景色です。
そこで、「ああ、どこもかしこも、秋景色なんだなあ」と詠んだのがこの歌です。
ところが、ここで面白いのが、良暹法師が「いずくも同じ」と詠んだことです。
冒頭で「寂しさに」と詠いながら、下の句では「いずくも同じ」です。
何が同じかといえば「秋の夕暮れ」が「同じ」というのです。
一般には、ですから秋の夕暮れは「寂しさ」の代名詞とされています。
けれど、少し考えたらわかるのですが、大原のような大自然に囲まれた場所における秋の夕暮れはちっとも寂しくありません。
秋ですから天は高く、夕暮れ時には、空の雲が美しく紅く染まります。
山々に目を転じれば、そこには紅葉があり、あるいは黄色く色づいた樹々があり、鳥が啼き、夕暮れ時なら秋の虫たちが、冬越えの準備のための求愛に、声をかぎりに鳴いています。
街道に目を転じれば、そこには曼珠沙華(彼岸花)や、キンモクセイ、萩の花やキキョウの花が咲いています。
それらすべてが一体となって、みんなが生きている。
人がいない寂しさに、一歩外に出てみたら、そこは大自然の生命の息吹にあふれているわけです。
人間社会だけを見るのではなく、人も自然界のまたひとつと捉えれば、そこはまさに生命の大地です。
藤原定家は、この歌を三条院の「憂き世の夜半の月」、能因法師の「竜田の川の錦」の歌の次に配しました。
三条院の歌は朝廷の政争を、能因法師の歌はその政争さえも我が国では錦になると詠んでいます。
ということは、次に配された良暹法師のこの歌も、ただ寂しいとか孤独だとか言っているのではなくて、人に揉まれた比叡山も、人里離れた大原も「いずくも同じ」、つまり、どこもみんな、実は生命の息吹に満ちあふれた、それぞれの生命の活動の場であり、それらが渾然一体となってひとつの「美しい夕暮れ」を奏(かな)出ている。
つまり、みんなが生きている。
自分もそのなかのひとつとして、生かさせていただいている。
そういう感謝の思いが、この歌に詠み込まれていることに気付かせてくれます。
実に、奥行きの深い、まさに名歌の名にふさわしい歌であろうと思います。
そして、だからこそ、この歌にある「いづくも同じ秋の夕暮れ」というフレーズは、千年の長きにわたって人々に愛され続けてきたのだと思います。